住職レター 2026

新連載
2月

 昨年の大晦日、無事に除夜の鐘を撞き、本堂内で除夜会法要を勤め終えました。煩悩を滅するため、除夜の鐘を撞くのだと、一般的に言われています。滅するどころか、煩悩だらけの自分自身に気付き、心を整えようとしても、とらわれの心が邪魔をして、心乱れる毎日であるな~と、思い至ります。
 除夜会法要を終えたのが、午前一時過ぎ。直ぐに就寝し、午前七時から元旦会法要を勤めました。
 報恩講も、そうでしょうが、寺が開基され、約五百年超、毎年、毎年、同じことを繰り返して、法要を勤めてきたのでしょう。
 今までは、これまで行ってきたことが、今後も、あたり前に行われ続ける、このことは当然で、疑いようのない事実であったと思われます。
 しかし、これだけ、世の中が変化し価値観も変わっていく現代、果たして、今後も、法要行事が続けていかれるでしょうか。
 最近、お寺の存在意義について、いろいろ考えます。大変哀しい事ですが、お寺の衰退が止まらない昨今の現状があります。文化庁宗務課のデータによると、全国約七万七千の寺院のうち、約二万カ寺が住職のいない「無住寺院」で、宗教活動を停止した「不活動寺院」は二千カ寺以上と推計されるとのこと。
 人生を歩んでいく、その道において、お寺が必要であると思って貰いたい。そんな寺院運営をしていけるよう、勤めて参ります。

除夜の鐘撞き(石原総代)
初日の出(令和8年元旦)
1月

 善教寺の報恩講、先日(十二月二日)、無事に勤め終えました。報恩講は、宗祖・親鸞聖人(一一七三年~一二六三年)の教えと生涯に対する感謝の気持ちを表すために、お勤めされる仏教行事です。
 報恩講という名称は、親鸞聖人のひ孫である本願寺第三代覚如上人が、 聖人の三十三回忌にあわせて『報恩講私記』を著されたことに由来しています。以来、七百年を超える歴史の中で、先人たちが親鸞聖人ご命日の法要を報恩講として脈々と受け継ぎ、今日まで大切にお勤めしてきました。
 善教寺が開基されて、五百十年超。開基以来、毎年、報恩講は、お勤めされてきたのでしょう。その時代の生活様式に合わせて、大法要であったり、縮小し質素に勤めたりと、変化しながら、今日を迎えていると思われます。
 ふと、今後この報恩講が受け継がれていくだろうか?と、心配になることもありますが、不易流行で尽力して参ります。
 善教寺報恩講にお参りされた方々と、お接待当番の皆さまの笑顔を絶やさぬよう、微力ですが頑張っていきますよ。
 今年のお接待当番を担って下さった、武士地区の皆さま、お世話になりまして有り難うございました。

報恩講内陣出勤
報恩講参拝の様子
報恩講お接待当番の帳場担当の方々
報恩講お接待当番の台所担当の方々