住職レター 2022

  12月
 十一月も残り数日となり、そろそろ冬支度ならぬ、報恩講の準備であります。と同時に、今年を振り返る時期であり、一般的には、年末の大掃除に入る頃、また年賀状の準備に取り掛かる頃かもしれません。
 私の今年は、例年になく、余裕の無い日々でありました。コロナ禍が収束傾向となり、コロナと共存の如く、社会活動が再開されたせいか、いろんな歯車が、一気に動き出した、そのような感じであります。
 時々、「コロナ禍の中、亡くなられる方が多くて、住職さんは忙しかったのでは?」と言われたりしますが、実は、そのような事はありませんでした。本来は、医療がひっ迫したせいで、亡くなられる方が増えると思われがちですが、そのような事は無く、むしろ、今年に入ってから、葬儀依頼が激増しました。
 という訳で、私の今年の漢字は『忙』であり、未だやり残したことが多く有ります。その筆頭が、善教寺ホームページのリニューアル。報恩講に参勤しても、多くの皆さんから、ご指摘を受けました。ホームページを最後に更新したのは、いつ頃だったでしょうか。思い出せないくらい前です。
 寺の住職は、『忙』であってはなりません。なんせ、心を亡くすという意味があるから・・・。大晦日に除夜の鐘を撞いて、『忙』を洗い流しますね。
善教寺鐘楼堂
 11月
 十月二十二日、護持会報恩講を勤めました。通常の法要開催を願っておりましたが、お斎(法要料理)接待するのは時期尚早との判断で、朝席のみお勤めしました。
 この時期、報恩講シーズン真っ盛りです。善教寺では、秋の彼岸頃から、各門徒宅へ参勤し、その後は各地区(講中)でのお寄り講を勤めます。
 十二月二日に勤めます善教寺報恩講の前に、護持会報恩講を勤めますので、前半戦のハイライトといった感じです。
 一昔前は、報恩講は各家のお祭りの如く、親鸞聖人の法事を盛大に勤められていました。しかし今では、「報恩講って何?」「勤めんといけんの?」と、時々聞かれます。
 有り難いことに、現在では、報恩講を家の仏壇で勤めるのは、一年に一度の大切な年中行事の一つに考えて頂けている方が多いのですが、今後、世代が代わって三十年、五十年先には、今とは異なった考えの方が多くなっているように思います。
 報恩講は、勤まるのが当たり前、当然勤めるもの、という価値観を継承していくのは難しい時代なのでしょう。親鸞聖人様に申し訳なく思います。
 時代の変化だからと諦めず、今と同じような思いを持つ方を増やしているよう、私は抗いてみますね。

帳場の様子

護持会報恩講の法要中

法要の中休み中

  10月
 全国各地で自然災害が頻発しています。地球温暖化のせいでしょうか。コロナ禍に加えての自然災害ですから、まさに『弱り目に祟り目』であります。この秋は、毎週のように台風の猛威に晒されました。天気予報ニュースでは、「かつてない巨大な勢力の台風です」と注意喚起されましたが、幸い善教寺付近では大きな被害は無かったようです。
 この時期の台風、梅雨時の集中豪雨、報道ニュースでは、「自分の身は自分で守るように」と、耳にすることが多くなった昨今であります。あと、忘れてはならないのは、地震でしょうか。
 私が住職を継いでから今日まで、二つの大きな自然災害に遭遇しました。一つは、平成十三年の芸予地震。山門の柱が折れました。もう少し揺れていたら倒壊したことでしょう。御経堂の白壁が崩落。納骨堂の屋根瓦が崩壊。本堂内陣の荘厳が落下破損。二つ目は、平成三十年の豪雨災害。善教寺は直接の被害はありませんでしたが、近くの山は崩れ、ご門徒宅にも土砂が入り込み、各地の道路は崩落して通行止め。
 気象レーダーのお陰で、かなり前から台風の接近と規模、予想進路が分かるようになりました。線状降水帯の状況も判明するようで、この時間帯には急激な雨が降るとの予測も分かります。とても有り難いのでありますが、それに伴い、人間の感覚は衰えていっているような気もしないでもなく。
 昔の人は、空の色、雲の流れ、空気の匂いで、嵐がくると察知できたのでしょうね。

折れた山門の柱

御経堂の白壁が崩落

  9月

 私が住職になって、葬儀・通夜の時に、驚いたことが二つあります。一つは、お参りされた方々が、大きな声で一緒にお経を勤め上げられていたこと。二つ目は、ご参列の皆さん、門徒式章を首から下げられていたこと。約二十八年前のことです。
 しかし、お経を勤める声は、だんだんと聞こえなくなり、門徒式章をされている方も少なくなりました。
 最近は、コロナ禍の影響で、大声を出すのはマナー違反だからか分かりませんが、お経の声が全く聞こえず、家族葬が増えたせいか門徒式章をされている方はお見掛けしなくなりました。
 とはいえ、本堂での定例法要では、参拝者の皆さん、門徒式章をされています。そして有り難いことに、先日の盂蘭盆会法要にて、仏教婦人会用の式章が欲しいと要望がありました。この式章、とても素敵なデザインです。平成二年に開催された「第九回世界仏教婦人会カナダ大会」が開催された際、カナダの湖の色をイメージして作られました。縹色地に浅黄色辛夷唐草模様、白浮織下り藤紋入り。この式章と恵信尼さまゆかりの辛夷(コブシ)の花にちなんだ勤行聖典バッグを、合わせて持たれてはいかがでしょうか。
 辛夷(コブシ)の花は、親鸞聖人の連れ合いである「恵心尼さま」にゆかりがある花です。恵信尼さまのお墓である「五重に候ふ塔」のそばに樹齢六〇〇年のコブシがあったことから、「恵信尼さまのゆかりの花」といえばコブシの花となりました。

勤行聖典バッグ 仏教婦人会用の式章 浅黄色辛夷唐草模様
     

恵信尼さまのお墓

 
 8月

 『初参式』の次は、『夏の子ども会』です。例年ですと、夏休みに入った七月の終わり頃に開催。しかし、このコロナ禍で、ここ三年、開催できませんでした。今年こそは、「もう大丈夫!」と思っていたのですが、また今年も取り止め。
 『夏の子ども会』、善教寺では五十年以上の長い歴史があります。当然、私が小学生の時にも参加しました。お経を称える時間は嫌いでしたが、昔は腹話術での法話があったり、本堂内でゲームをして、とても楽しかったことを覚えています。お昼ご飯は、仏教婦人会役員さんが作られたカレーを食べていました。小学校の給食とは違って、とても美味しかったものです。
 夕方に終わって、アイスキャンディーを貰って帰宅。と言っても、私は、本堂横の庫裏(自宅)に帰っていました。
 私が住職を継いでからも、毎年、この『夏の子ども会』を開催してきましたが、私が小学生の頃と同様、参加された子ども達は大いに楽しんでくれました。
 『夏の子ども会』に参加してくれた子ども達と、数年後に法事で再会することもあります。成長した子ども達に出会えるのは、私にとっては、それは一つの楽しみでありました。
 コロナ禍になって、今まで当たり前に出来ていたことが、全く出来なくなりました。早く、コロナが終息して欲しいと、心から願います。
 来年こそは、『夏の子ども会』、きっと開催できるでしょう。

夏の子ども会①

夏の子ども会 ②

 7月                                        

 先日(六月五日)、善教寺本堂にて『初参式』を勤めました。コロナ禍で中止が続き、三年ぶりの開催。『初参式』とは、お子さまの誕生後、初めて仏さまの前で手を合わせ、お祝いするものです。お子さまと共に親御さまも仏さまに手を合わせ、生まれたことの意味を確かめて頂く、親として生きる出発点であり、赤ちゃんによって与えられた尊い仏縁であります。
 お子さまが生まれたら、お宮参りが一般的だと思われますが、お寺参りもありますので、覚えておいて下さいね。
 その『初参式』にて、嬉しい事がありました。なんと、お子さまを連れたお母さまは、私が住職就任直後、約二十六~七年前の『初参式』に、赤ちゃんで来られた方でした。当然、ご自分が『初参式』で寺の本堂へお参りした記憶は無いでしょう。しかしこうして、お母さまになられた今、ご自分のお子さまと一緒に、寺の本堂へお参りされています。有り難く、尊いご縁だな~と、嬉しくなりました。
 仏さまの子の誕生を祝うと同時に、私自身が仏さまの子であった事を、改めて実感させて貰いました。

7月

 6月                                      

 新緑の美しい季節となりました。お寺の周りの景色が美しく、田植えが終わった田んぼを眺めていると心が落ち着き、山々の木は芽吹き、元気を貰えるような気がします。
 法事にお参りして、「良い季節ですね~」と申しますと、そうではないご様子。「草刈りが大変ですけんの~」と、愚痴をこぼされていました。田植えの合間に草刈りをして、また次の場所を草刈り、そしてまた最初に刈った草をまた再度の草刈り。私が、「やる事があるのは、有り難いのですよ」と申しまして、困惑気味に受け取られる始末。
 さて話は変わり、法事の時、ギターを趣味で弾かれる方に出会いました。左手の指の先を見せて貰ったのですが、そこは硬くなっていらっしゃいました。当然、最初は、柔らかい指の先だったのでしょう。ギターの絃を押さえるために、指の先が硬くなったとのこと。痛い思いをして、ギターが上手く弾けるようになったと、笑顔で話して下さいました。
 僧侶になる修行をした得度の時、正座に慣れずに、足が痛くて、痛みで失神するとは、このような感じか?と思ったものです。この痛みがあって、成長が出来たのでしょうね。
 最近、何かの痛みを味わっているかな?と、ふと思いました。痛みが無いということは、成長できていない証拠か・・・。
 成長する為に、痛みを探してみます。

 

 5月    

 先月の寺報、住職レターに、「戦争が終わって、安穏がおとずれますよう、祈り続けます」と書きましたが、益々悲惨な状況に陥っているようです。祈りは届きませんでした。ニュースを目にする度、心が痛みます。
 私が住職を継いだ二十八年前は、戦争を体験された方が、まだ多くいらっしゃいました。本堂で法要時、帳場の世話をして下さっていた方が、まさに戦争体験者。その方が、戦争の悲惨な状況を、時々話して下さいました。そして最後に、「戦争は絶対いけん!」と、目に涙を薄っすら浮かべながら言われます。その一言が、とても印象的で。その方、戦後は学校の先生をされていました。ある時、私が、「学校の授業で戦争の話をされたのですか?」と聞きますと、全く話さなかったと。家族にも、あまり話をしたことが無かったと言われていました。「友が目の前で死んでいったけんの~」と、ボソッと言われたこともありました。「長いこと生かしてもろうた、戦死した者に申し訳ない」とも。
 私が住職になった時、周りはおじいちゃん世代ばかりで、戦争体験も含めて、有り難い話を沢山聞かせて貰ってきました。
 そういえば、ここ最近、戦争体験の話を全く聞きません。戦争体験者がいませんからね。帳場を世話して下さっていた、おじいちゃんの戦争体験の話し、今になって、また聞きたくなってきました。

本堂裏庭のツバキ
4月                                                                             

 三月の半ば、今までの寒さから打って変わって急に暖かくなり、春を感じられるようになりました。この様子だと、桜がいつもより早く咲くかなと思っていましたが、しかし月末を迎え、寒の戻りの如く、朝晩の冷え込みが厳しくなり、日中も肌寒く感じられました。まさに三寒四温。桜満開の春を前に、冬将軍の最後の悪あがきなのでしょう。
 コロナ禍以前でしたら、この時期は歓送迎会が行われ、お花見気分で毎日が高揚しておりました。しかし、新規感染者が高止まりしたままの、このコロナ禍。加えての、ロシアによるウクライナ侵攻。戦禍の報がテレビニュースで放映される度に、心が痛くなります。
 なんとかならないのか、何かしてあげられないか、そう思っても、何も出来ない無力な自分に気付きます。せめて早く終結させられないものか。
 改めて、暖かい部屋で、お腹いっぱいに食事ができることが、当たり前ではなく、有り難いことに気付かせて貰いました。
 桜満開の頃には、戦争が終わって、安穏がおとずれますよう、祈り続けます。

善教寺境内地にあった唯一の桜(約十年前に枯れてしまいました)
 3月                                       

 今年の冬は寒い日が続きます。早朝、本堂と境内の御手洗いは、凍って水が出ない事が多かったです。車のフロントガラスは、大霜の影響で真っ白く凍っていました。
 法事にお参りして、「寒いのは嫌ですね~」と申し上げますと、「寒いのは有り難いのですよ」と教えて頂きました。お聞きしますと、この寒さで、田んぼの害虫に影響を与え、春先の農薬が少なくて済むとのこと。田んぼに、雪が降り積もる状況だと、尚良いと言われていました。
 その話を受けまして、次の法事では、「寒さも有り難いですね~」と申し上げますと、その家のご婦人方から、「寒いのは苦手です、早く暖かくなって欲しいですよ」と、言われてしまいました。
 私が小学生の頃は、いつも雪が降り積もっていたように記憶しております。本堂北側の軒先には、氷柱が下がり、池の水は凍り、外に置いてあった野菜は凍っていました。庫裏の居間だけが暖かく、こたつもあったせいか、この部屋に人が集まって、皆で同じテレビを観て、同じおやつを分けて食べ、お喋りしながら過ごしていたように思います。
 凍てつく寒さの中にも、温かい他人様との交流があったものですね。

2008年 大雪時の善教寺本堂
2月              

 この写真、元旦会法要を勤め終えた後、本堂廊下より、初日の出を撮りました。この素晴らしい初日の出を拝みながら、このままコロナ感染症が収束し、今までのような平穏無事な世の中が戻ってくると、確信めいた思いを抱いていたのですが。


 昨年の秋から年末にかけて、広島県内では、新規の感染者ゼロが続いていました。正月三が日も穏やかでありましたので、コロナ感染症もついに普通の風邪になったかな?と思いましたが、感染力が強いとされるオミクロン株によって、急激な感染拡大となりました。
 オミクロン株は重症化しないと言われてますが、ワクチン接種をしていない子供達への感染が、広島県内でも急増しているようです。
 加えまして、ここ数日の冷え込みが厳しいこと。つい先日は、寺の周り、雪が降り積もっていました。
 明るい話題が少ない昨今ですが、明けぬ夜はありませんから、明るい希望をもって、共にこの人生を歩んで行きましょうね。

 1月    

 令和四年版の善教寺法要案内パンフレット、ようやく完成しました。タイトルは「求不得苦」。令和二年版の「愛別離苦」、令和三年版の「怨憎会苦」、そして令和五年版の「五陰盛苦(ごおんじょうく)」へと続くシリーズです。
 約二千五百年前、お釈迦様が三十五歳で仏のさとりを開かれた、その第一声は「人生は苦なり」でした。
 人生の苦しみを「四苦」、生苦・老苦・病苦・死苦、それに前述の四つの「苦」を加えて「四苦八苦」と説かれています。
 「求不得苦」は、求めても得られない苦しみを表す言葉です。目標を達成してもまた次の目標が必要になる。欲しいものを手に入れても次が欲しくなる。このもっともっとと求めて止まない苦しみを、餓鬼の苦しみといいます。
 欲しいものがあれば、それを手に入れることに躍起になり、無理を通し、他を押しのけ、自分の思うようにならなければ、腹を立て、ねたみ、心が静まることがありません。
 自分の思うようになる、自分の願望が満たされることが幸せだと思っているとすれば、それは例え一時的に実現したとしても、必ず崩れさってしまうのが常であります。
 求不得苦から逃れるには、足るを知ることが大切です。
 どうしたら良いか、それは身近な人や、全ての事象を当たり前と思わず、感謝することです。

報恩講(令和3年12月2日)