住職レター 2023

12月号
 報恩講参りが佳境を迎え、毎日、門徒さんのお宅へ参勤させて貰っております。皆さん仰るのが、「一年が早いね~。昨年、住職さんにお参りしてもらってから、もう一年が経つんじゃね~」と。確かに、時の移ろいは早いです。コロナ禍になってから、余計に早くなっているように感じますが、年齢のせいでしょうか。

 「時が早よう経つのはね~、それだけ毎日が充実しとる証拠ですよ」と、いつも返答しつつ、私自身へも、そのように言い聞かせております。
 報恩講に参勤した際、お仏壇周りで、肝心な物(仏具)が、見当たらないことがあります。なんだと思われますか?「報恩講用のお供え物かな~・・・」、違います。お経を称える時に打ち鳴らす仏具『おりん(鈴)』をたたく棒、正確には『鈴棒(りんぼう)』と言いますが、この鈴棒が見当たらないことが、時々あります。本来は、毎朝の読経時に使う、大切な仏具ですから、無い筈はないのですが。家の方に、「鈴棒はどこにありますか?」と、それとなく聞くと、「住職さん、去年お参りしてから、どこに置いちゃったですか?」と、逆に聞き返されます。「お経を毎日、称えているでしょう」と突っ込みたくなりますが。それはまだ良い方で、「無かったら、適当な棒を使って下さい、そこのチャッカマンで・・・」と、バチ当たりなことを、冗談交じりで言われたり・・・。

 この『おりん(鈴)』ですが、仏様(故人)に「お参りにきましたよ~」っていう挨拶だと思って、仏壇の前に座ったら、チーン、チーン、と打ち鳴らす方が、多くいらっしゃいます。『おりん(鈴)』は、お勤めを始める合図・終わりの合図であり、また声を出すときの音の高さの目安でもありますので、むやみやたらに鳴らさないのが、正しい作法なんですよ。

 さて、善教寺の報恩講は、本堂にて、十二月二日(土曜日)にお勤め致します。近隣の法中住職さんが、ご出勤くださり、厳かに読経しますので、楽しみにして、ぜひお参り下さいね。
善教寺庫裏お内仏の『おりん(鈴)』と鈴棒
11月号

 ご法事にお参りして、頼りになるのは、カープです。

 読経後、お茶を頂きながら、世間話をします。女性の方はコミュニケーション上手な方が多く、会話が途切れることはありません。一方、男性の方は、話し下手な方が多いです。なかには、家族の陰に隠れて、不機嫌そうな方もちらほら。でも決して、そのような方は、ご機嫌斜めなのではありません。なんせ、仏壇の前にお参りされる方は、心の清いお方ばかりですから。不機嫌そうに見える年配の男性の方は、フレンドリーに振舞うのが、あまり上手では無いのかもしれませんね。

 こんな時には、魔法の言葉を使います。「昨日のカープ、よく勝ちましたね~」。シーズンオフなら、「来年のカープは期待できそうですよ」と。カープ好きな方が多いので、この魔法の言葉を伝えると、不機嫌そうな表情も一変します。その後は、カープの話題で盛り上がり、この方、こんなにお喋り好きだったんだ~と感じることも、しばしば。

 広島にカープがあって良かったと思う瞬間です。カープは広島の宝だと改めて感じます。

 さて、この画像、『カープ坊主』なんですよ。見慣れた、『カープ坊や』ではありません。よく見て頂けると、赤い衣に紫の袈裟、手には念珠。カープ坊主は、平成二十五年の親鸞聖人七五〇回忌の記念事業で誕生しました。当時は、各メディアで取り上げられ、大きな話題になったんです。

 残念ながら、今年のカープは終わってしまいましたね。ご法事の世間話で盛り上がれますよう、来年のカープには、大いに期待するとしましょう。

カープ坊主
10月号

 今月末、護持会役員会を開催し、護持会報恩講・善教寺報恩講の開催について話し合います。昨年までは、コロナ禍ゆえに、半日での法要開催でありました。当然、お斎(法要料理)は無し。マスク着用、お隣の方とは間隔を空け、寒くても換気を行う。おそらく今年は、コロナ禍前のような、通常の法要開催が可能になるかと思っております。問題は、お斎(法要料理)をどのように行うか。接待当番を、四つの地区毎の輪番制にしておりましたが、従来通りと同じ様式にするか。いろいろ検討しなくてはなりません。

 コロナ禍を通して、世の中の動きが一気に加速し、価値観が大きく変化してきました。今後、世代が変われば、また大きく変わっていく事でしょう。今までと同じ様式を、今後も続けていくことは、難しい時代になったのではと考えます。

 報恩講法要がこれから先も勤め続けられ、各世代に受け継がれ、大切な事を継承していく、そのような観点から考えないといけません。当然、変えてはならないところは変えてはならないでしょう。不易流行の如く、いろいろ模索して参ります。ご協力ください。

平成27年1月開催の護持会役員会

9月号

 コロナ禍になって、一番の変化は、リモート(インターネット)で会議をするようになったこと。コロナ禍前、私の周りでは、リモート会議は全く無く、対面式が当たり前でしたが、多い時には毎週定期的にインターネットで会議をしていました。時には、会議的なこと三十分、その後、一時間くらい雑談タイム、このような時も有りはしましたが。緊急事態宣言中は、人様とお会いする事が出来なかったので、リモートであっても、交流が出来るのは嬉しかったものです。

 お寺でも同様に、リモート法事が増えました。と言っても、一般的なリモート会議とは、少し様子が違います。普通に数名の方は本堂へお参りされ、東京の息子さんと、海外に住む娘さんに、インターネットを通じてお経を届ける感じです。読経終了後は、本堂内のモニターを通して、リモートで参加された方ともコミュニケーション出来るようにしています。

 法事こそ、その場に参勤し、雰囲気を味わいながら共に読経する、そうしないと有り難味が薄い、と思われるかもしれませんが、私のお経は、遠く海外へも、ちゃんとお気持ちが届いているとのこと。ただ、一つ残念なことは、お香の煙りと香りが届かないことかな。

 以前でしたら、コロナ禍に関係なく、「息子は仕事の関係で広島へ帰ることが出来ませんでした」と、法事にお参り出来なかったことを残念に話されましたが、今後は、ぜひとも、リモート法事を活用して下さい。

 リモート法事、意外と心温まるな~、有り難かったな~、と思って頂けると思います。

リモート法事(善教寺 本堂にて)
8月号

 暑中お見舞い申し上げます。

 梅雨が明けたとたんに、この厳しい猛暑。暑さに慣れていないせいもあるのでしょうか、肌を刺すような太陽の光を浴びて、頭がクラクラします。そんな中、今年も元気に、大汗かきながら、読経しております。有り難いことに、最近では、お仏間にエアコンを設置されている家が増えたせいもあり、こうして夏バテ知らずで、奮闘出来ております。

 お盆がきますので、そろそろ、お気持ちは、ご先祖を偲ばれているのでは?

 お墓参りのスケジュールをお考えの頃でしょう。日が落ちる夕刻にお参りと思われるかもしれませんが、この時刻は西日が強く、山の中の墓所でしたら、やぶ蚊に刺されたりするので、あまり適した時間ではありませんよ。いつもより少し早めに起床して、早朝にお参りされてみてはいかがでしょうか。出来れば、夜明け前の東雲の頃に家を出発して、薄明りの中、お墓を掃除して、朝日を拝みながら、墓前で読経を称える。自然と、今日を迎えることが出来た喜びと、ご先祖への感謝の気持ちを、心から味わえると思いますよ。

 さて、善教寺本堂では、八月十日(木曜日)、盂蘭盆会納骨法要をお勤め致します。日本では一般的に先祖供養のための行事とされていますが、浄土真宗では、お盆の時期にご先祖を偲ぶとともに、無常の理(ことわり)を感じて阿弥陀さまの恩徳を感謝させていただく仏事です。お盆には、すでにみ仏になられたご先祖を偲び、逝った先(浄土)を想いつつ、お仏壇の前で手を合わせ、報恩感謝のお念仏を称えましょう。

善教寺墓苑 永代合葬墓建碑法要(2017年8月)
7月号

 この写真、どこの場所か分かりますか?
 本堂のお手洗いです。この度、男性用便器を撤去し、手荷物を置けるようカウンターテーブルを設置する、リフォーム工事を行いました。
 本堂のお手洗いは、約四十年前、本堂修繕に合わせて、既存建物に建て増しされた形で建築。場所的な制約があったのでしょう、当時では、あまり問題にならなかったのか、一つのお手洗い空間内に、男性用と女性用が混在しておりました。これをなんとか改善しなくては・・・。男性用と女性用の間に、どのように仕切り板を設置するか、出入り口をどのようにするか、問題を解決できずに、今日まできました。
 仕切り板を設置すると、それぞれの空間が狭くなる。出入口をやり替えなくてはならない。いろいろ考えました。男女平等の時代に、大変申し訳ないのですが、男性用便器の撤去を決定。男性の方は、境内のお手洗いに行ってもらう事にしました。男性の方、申し訳ありませんが、この決断をお許し下さい。
 カウンターテーブルに手荷物を置いて、身だしなみを整えて頂ける、鏡を据え付けました。このカウンターテーブルに、一輪の花でも活ければ、お手洗いが素敵な空間に生まれ変わることでしょう。
 お手洗いのリフォームが終わると、次は、本堂バリアフリー化の検討に入ります。車椅子でも自力で本堂への参拝を可能にしたい・・・、これも住職就任時の私の思いです。しかしこれも問題山積。なんとか問題クリアーするよう、知恵を絞ってみます。何か良い知恵がありましたら、お授け下さいね。
 少しずつですが、お参りしたくなる寺にしていけますよう、尽力いたします。

 6月号
 
 六月十七日(土曜日)、善教寺本堂にて、安居会(夏の法要)を勤めます。安居って、何の意味?、どう読むの?と、思われたかもしれませんね。 「あんご」と読みます。安居は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一か所に集まって集団で、修行すること、および、その期間のことを指します。
お釈迦様と弟子達は、定住せずに布教活動をされました。しかし雨季には、一か所に集まって定住し、論議などをする特別な修行が行われたとのこと。
確かに、雨季に外出するのは億劫であり、川が氾濫すると交通が困難になります。だから、一か所に集まって定住する、という訳ではあるのですが、大切なのは、それだけの理由ではありません。
雨季は、草木や虫がよく成長する時期にあたります。そこで、足元の悪いこの時期に外出し、小虫を踏み潰したり、新芽を痛める恐れを考え、外に出かけないのが大切と捉え、洞窟や寺にこもって修行に専念することになったそうです。これを安居といいます。
さて、安居会法要ですが、従来の法要形式に戻して、朝席・昼席、お昼を挟んで、一日開催と考えています。しかし、お昼のお斎(法要料理)を庫裏で食べて頂くのは、時期尚早かなと。お斎は、報恩講より、再開できるよう、願っています。
安居会法要の当日、お天気はどうでしょうか?
雨だから、我が家で安居と思わずに、お寺へお参り下さいね。

本堂北側の庭園

 5月号
 今月(五月)、有名な方の誕生日を迎えますが、どなたか分かりますか? 最近では、家族の誕生日さえ、うっかり忘れていた!なんて、大失態を犯してしまったと、お聞きする事もあります。それだけ、個々人、忙しなく今の時代を生きているのでしょう。
誕生日をお迎えされるお方様は、親鸞聖人です。一一七三年五月二十一日にお生まれになられました。そして何と今年、二〇二三(令和五)年は、ご誕生から八百五十年目にあたります。
京都へ行かれるご縁がありましたら、本願寺へお参りになってみて下さい。親鸞聖人御誕生八百五十年慶讃法要が勤まり、各地でお祝いの行事や「協賛行事」が開催されているようです。
今更ですが、親鸞聖人は京都日野の里でお生まれになり、九歳で出家得度されました。その後、比叡山で学問修行に励まれましたが、二十九歳の時、師である法然聖人のお導きによって阿弥陀如来の本願を信じ「南無阿弥陀仏」という念仏の教えに帰依する身となられました。三十五歳の時、念仏弾圧により越後に流罪となった後、関東に移って念仏の教えを弘められ、晩年は『教行信証』等多くの著述に力を注がれ、九十歳で京都にて往生されました。
忙しない今の時代ですから、敢えてタイムスリップの如く、往時の親鸞聖人を想い、先祖に思いを馳せたり、祖父母や父母の情に感謝の心を廻らせてみてはいかがでしょうか。
イベントチラシ
  4月号
 ようやく、明るい希望が見えてきた、そのような感じがしませんか?
新型コロナウイルスの新規陽性者、東広島では、ついに一桁台になりました。しかし、マスク解禁になってから、どうなるか?心配ではありますが。
大切な方と、心置きなく会えるようになりますね。旅行にも行けますよ。お孫さんと、久しぶりに会えると、楽しみにされている方も多くいらっしゃるでしょう。友人と、食事に行けます。ソーシャルディスタンスなんて言う、ヘンテコな距離感も関係なくなり、不要不急でも外出できますよ。なんだかウキウキしてきました。
これから春に向けて、とても良い季節になります。桜満開のお花見が楽しみになってきました。今年の桜は、今まで以上に美しく咲き誇っていることでしょう。
コロナ禍になったからこそ気付けたこと、いろいろありました。大切な方といつでも会えるということは、当たり前ではなく有り難いことだったんですね。
今後は、より一層、一期一会を大切に、人生を歩んでいきたいと思います。

善教寺報恩講の参拝者


善教寺報恩講の読経(令和4年12月2日)

  3月号
 善教寺法要案内パンフレット、いつもは十一月の終わり頃には、翌年版が完成しておりました。しかし令和五年版は、今年になってようやく完成。遅くなって申し訳ありません。
『ごあいさつ』のページ、何を語ろうか、いつも悩みます。一昨年(令和三年版)はコロナについて、昨年(令和四年版)は御手植松について。今年(令和五年版)は、ロシアとウクライナの戦争について語りました。
大寒波襲来の中、この住職レターを書いておりますが、屋外に出ると凍てつく寒さ。極寒です。こんな中、電気がストップして暖を取ることが出来ないと想像すると、哀しくなり心が痛みます。戦時下においては、全てが悲惨な状況なのでしょう。
「戦争が終わって、安穏がおとずれますように」と祈り続けることしか出来ない無力さを感じますが、しかしそれでも安穏を願い祈り続けなくてはなりません。
私が住職を継いだ二十八年前、戦争を体験された方が、まだ多くいらっしゃいました。法事にお参りしても、周りは祖父母世代ばかりで、戦争体験も含めて、有り難い話を沢山聞かせて貰っていました。
そういえば、ここ最近、戦争体験の話を全く聞きません。戦争体験者が少なくなったからでしょう。戦争体験の話し、次世代に語り継いでいかなくてはなりません。それが、平和な時代に生きる、私たちの使命でしょう。

1月23日早朝の雪景色

 2月号
 年末にかけて、各門徒宅への報恩講参りが続き、その合間に年賀状を仕上げ、気付いたら大晦日となり、除夜の鐘を撞く準備です。除夜会が終わると、数時間後に始まる、元旦会の準備をして就寝。元旦の朝七時から、元旦会の読経。
この住職レターを書いている現在、外は大雪。ホワイトクリスマスになっているようですが、巷では、クリスマス寒波とのこと。明朝より法事が続く予定なので、これ以上の雪は降らないよう願っているのですが。
ふと、昨年の「除夜の鐘」撞きを思い出しました。とても寒かった記憶があります。確か、大晦日の朝、大雪が降り、参道の雪をほうきで払い除けていました。この度のクリスマス寒波のお陰で、今年の大晦日は、穏やかな気候になることを願っていますが、どうでしょう。
大晦日のことを除日(じょじつ)といいます。「除」という言葉には、古いものを捨て新しいものに移るという意味があり、心穏やかに新年を迎えようという願いが込められているようです。
煩悩の数が、百八あることから、一般的には、百八回、鐘を撞きますが、この辺は諸説あるようです。一年を表す月の数(十二)、二十四節気(二十四)、七十二侯(七十二)、それぞれを足した数だったり、四苦八苦(四×九と八×九を足した数)を表す数という説もあります。
何はともあれ、今年一年の感謝を込めて、『除夜の鐘』を撞きます。
善教寺 鐘楼堂
1月号
 十一月も残り数日となり、そろそろ冬支度ならぬ、報恩講の準備であります。と同時に、今年を振り返る時期であり、一般的には、年末の大掃除に入る頃、また年賀状の準備に取り掛かる頃かもしれません。
私の今年は、例年になく、余裕の無い日々でありました。コロナ禍が収束傾向となり、コロナと共存の如く、社会活動が再開されたせいか、いろんな歯車が、一気に動き出した、そのような感じであります。
時々、「コロナ禍の中、亡くなられる方が多くて、住職さんは忙しかったのでは?」と言われたりしますが、実は、そのような事はありませんでした。本来は、医療がひっ迫したせいで、亡くなられる方が増えると思われがちですが、そのような事は無く、むしろ、今年に入ってから、葬儀依頼が激増しました。
という訳で、私の今年の漢字は『忙』であり、未だやり残したことが多く有ります。その筆頭が、善教寺ホームページのリニューアル。報恩講に参勤しても、多くの皆さんから、ご指摘を受けました。ホームページを最後に更新したのは、いつ頃だったでしょうか。思い出せないくらい前です。
寺の住職は、『忙』であってはなりません。なんせ、心を亡くすという意味があるから・・・。大晦日に除夜の鐘を撞いて、『忙』を洗い流しますね。