12月 |
各御門徒宅の報恩講参りも佳境を迎えました。いよいよ十二月二日には善教寺本堂にて報恩講を勤めます。今年は柏原地区の皆さまがお接待して、多くの参拝者をお迎え致しますので、ご参拝くださいね。
お手元に、法要日程案内を兼ねた善教寺パンフレット令和二年版、届きましたでしょうか? なかなか良い感じに仕上がっていますでしょう(自画自賛)。
表紙の写真は、親鸞聖人像(昭和四十九年建立)の迫力ある写真を使いました。親鸞聖人の御顔もとに、光が射している瞬間のベストショットです。撮影時の私のイメージは、『明るく希望に満ち溢れた未来に歩みを進める親鸞聖人』という感じでしょうか。「愛別離苦」の言葉と共に、親鸞聖人の写真を見て、何かをお感じ頂けたら、有り難いです。
報恩講が終わると、次は除夜会です。除夜の鐘を撞くと、「今年も終わったな~」としみじみと感じ入ります。古より煩悩の数は百八個あり、故に大晦日に百八回鐘を撞いて煩悩を振り払う…という意味合いが一般的ではあります。しかし私の煩悩の数は、百八個どころではありませんので、今年は、一年を過ごさせてもらった感謝と、次の年、一年を迎えることが出来る感謝の思いを込めて、除夜の鐘を撞こうと思っています。
11月 |
例年この時期に作成しております、来年の法要日程案内を兼ねた善教寺パンフレット、ようやく完成しました。納骨堂・御経堂・鐘楼堂の写真をリニューアルしたこと、気付いてもらえたら嬉しいです。そして表紙の写真は、親鸞聖人像(昭和四十九年建立)の迫力ある写真を使いました。この写真、一つの拘りがあります。親鸞聖人の御顔もとに、光が射している瞬間を撮影しました。朝日が昇る、そのわずかな時間に撮った写真です。数日間、ベストなタイミングを見計らっての瞬間です。善教寺へお参りされた時、この親鸞聖人像のご尊顔を覗き込むようにして、ご参拝なさって下さい。
そして令和二年の『今年のことば』は「愛別離苦」と致しました。今年は「諸行無常」、昨年は「南無阿弥陀仏」、一昨年は「浄縁」でした。
「愛別離苦」は「愛する人やものと離別する苦しみと辛さ」を表す言葉。この世に生まれた者なら、いつかは通らなければならない「生別や死別での苦しみ」を意味します。「愛別離苦」の痛みは計り知れず、おそらく精神的な観点から見れば、最も心がやせ細ってしまう「苦しみ」であるのかもしれません。
しかし、「愛別離苦」が生きる者すべてが背負う自然の道理であるならば、今生きているという瞬間に感謝し、今を生きることを大切にして頂けたらと思い、令和二年の『今年のことば』と致しました。
10月 |
もう報恩講の時期?と思われるかもしれませんが、先日、呉地区へ報恩講の参勤を済ませました。今後、各地区の門徒さん宅を、地域ごとに順次、報恩講を勤めて参りますので、宜しくお願いします。
その間、護持会の報恩講を十月二十六日に勤め、善教寺の報恩講を十二月二日に勤めます。各地域の集会所にある御堂(お内仏)でも報恩講を勤めます。
最近、報恩講に参勤すると、その家の若いお嫁さんが、「報恩講って、何ですか?」と聞かれる事が多くなりました。私が住職を継いだ頃には、報恩講の意味を知っていて当然、報恩講を勤めるのが当たり前、そんな時代でしたが、報恩講に対する考え方、思いが違ってきた感があります。
報恩講は宗祖親鸞聖人のご恩をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いを、改めて心に深く味わわせて頂く法要です。ご家庭での報恩講も、大切に勤めるように心がけて下さいね。
9月 |
七月二十六日(金曜日)、今年も無事に『夏の子ども会』を開催することが出来ました。私が子どもの頃には、もう既に毎年夏休みに開催されており、子どもの私は、とても楽しかった記憶が残っています。
善教寺本堂で、子ども会が開催され始めたのは、善教寺保育園が閉園された後だと聞いておりますので、約五十数年くらいの歴史があるようです。その当時、子ども会に来られていた方々が、今では還暦をお迎えの頃でしょうか。先日も、法事で本堂へお参りされた方が、子どもの頃に善教寺本堂で遊んだ記憶があると、当時を懐かしんで話して下さいました。
今年の『夏の子ども会』に来てくれた子どもたちが還暦を迎える頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。次の代が継承して、善教寺本堂でお迎えするのでしょうね。こうして尊く有り難い歴史が作られていくのだな~と、改めて思いました。
8月 |
七月十二日(金曜日)に厳修しました『東広島組追悼法要・安居会(夏の法要)』、無事に勤め終えました。東広島組内二十二の寺院が輪番制で、毎年この時期にお勤め致します。ゆえに、二十二年前には、善教寺本堂にて勤めているのでしょうが、前回開催の記憶は全くありません。余裕なく、日々の法務に邁進していたのでしょう。
梅雨時期ですから、お天気が心配で、そして何より、多くの参拝者があるだろうか???、いろいろ心配の種が尽きませんでした。
嬉しいことに、天が微笑んで下さったのか、法要開催日当日は、気持ちの良い天候で、爽やかな風が心地よく吹く、まさに絶好の法要日和でした。とは言え、梅雨の晴れ間は、草刈り作業をされないといけないところでしょうが、皆さん寺参りを優先して下さったのか、本堂は多くの参拝者でありました。
ご講師は、北海道から遠路遥々お越し頂きました、金龍先生。ソフトな語り口調で、有り難いご法話を聴聞させてもらいました。
仏さま(阿弥陀如来)の前で、心静かに手を合し、『有り難いな~、尊いな~』と、改めて思わせてもらえるような、心に響くご法話でした。
7月 |
当初六月二十二日に予定しておりました、『安居会(夏の法要)』ですが、七月十二日へ延期し、『東広島組追悼法要』と合同でお勤めをする事と致しました。参拝を予定されていた方々には申し訳なく思っております。
ご講師は、北海道から遠路遥々お越し下さる金龍先生です。善教寺へは初のご縁ですから、お楽しみになさって下さい。昼席には、東広島の住職方がお参りされ、下法中住職による出勤にて追悼法要が勤まります。きっと荘厳なる雰囲気になると思いますので、こちらもお楽しみに。『東広島組追悼法要』が善教寺にて勤まるのは、二十数年に一度のことですから、この度のご縁に是非お誘いあわせてお参り下さいね。
話しは変わりまして、先月(五月)二十六日に、『初参式』を勤めました。『初参式』とは、お子さまの誕生後、初めて仏さまの前で手を合わせ、お祝いする仏教行事のこと。生まれたばかりのお子さまも、みるみるうちに体も心も成長していきます。この『初参式』にて、お子さまと共に親御さまも仏さまに手を合わせ、生まれたことの意味を確かめて頂きました。親として生きる出発点であり、赤ちゃんによって与えられた尊い仏縁であります。
あかちゃん達、大きくなって、また善教寺へ帰って来て下さいね。
6月 |
衣替えする日、皆さんは、いつなのでしょうか?
以前ほど、この衣替えの日が、きっちりと定まっておらず、なんだか曖昧な感じで、いつの間にか衣替えをした…、という感じではありませんか?
おそらく、クールビズの習慣や、服装の個性化も影響しているのでしょうね。
私は、きっちり六月一日より、夏の僧衣へチェンジします。衣を替えた瞬間、急に体までも軽くなった感じで、とっても気持ち良いものです。
『え~、お坊さんも、衣替えするの???』って、思われた方もいらっしゃることでしょうね~。僧衣から袈裟、白衣、全て夏用があるんですよ~。お葬式の時に着用する七条袈裟にも、夏用があります。特に、この七条袈裟は、冬用と夏用では重量が全く違います。冬用は、ずしりと重く、動作もぎこちない感じ。夏用は、軽々として風を通し、何より軽快に動けます。法事用の五条袈裟にも冬用と夏用があります。そして意外に思われるのが、足袋にも夏用があること。この足袋ですが、夏用は薄地なので涼しく履けますが、そのため傷みも早い。気付くと、親指の箇所が破けています。破けるまで修業を積んだ…という証拠かな。
5月 |
今年の春先、私は花粉症でも無いのに、どうも調子が出んな~と思っていましたら、その原因が分かりました。広島カープの絶不調にあったようです。月忌参りに参勤しても、皆さんのお顔が暗いこと。改めて、広島人は、カープが生活に根付いていることを実感しました。お陰さまで、鯉のぼりの季節が近くなり、カープも本調子に戻ってきたようです。これで私も調子が良くなるでしょう。
さてこれからの時期、農作業が忙しくなると同時に、草木も芽吹いてきます。皆さんは、草刈りで忙しい毎日でしょう。私はこの時期、筍(タケノコ)掘りをします。竹をこれ以上、蔓延らせないようにするのが目的ですが、美味しい旬の筍(タケノコ)目当ては言うまでもありません。
永代経法要の前日、筍(タケノコ)を掘ってきました。その掘りたての、正に旬の筍(タケノコ)を、永代経法要の昼時にお斉(法要料理)として食べて頂きました。
当然、お料理を作って下さった、お接待方々の料理の腕前が良かった訳ですが、「筍(タケノコ)とっても美味しかったですよ」と言って頂くと、私が料理したかの如く、とっても嬉しかったです。
また来年の永代経法要では、旬の筍(タケノコ)を振る舞いますね。
4月 |
ついこの前、お正月だったと思いましたら、もう春のお彼岸を迎えました。日が長くなり夕刻になっても明るいのは嬉しいです。雑草くん達も春に気付いたのか、そろそろ草花が芽吹いてきたようです。お昼間の陽光も明るく穏やかで、春の息吹を感じさせてくれます。なんて良い季節なんだろう…と、心からそう思える春。しかし心地良い時期は短く、ジメジメと湿度が高い梅雨を迎え、その次にはギラギラと太陽が輝く夏がやってくる。雨が降ると、昨年の豪雨災害を思い出します。未だに災害復旧が出来ていない場所が多く、大雨が降ると心配な所ばかり。今年は雨量が少なく、被害が出なければと思います。
さて先日、仏教婦人会報恩講並びに物故者追悼法要をお勤め致しました。ご講師の足利先生は、兵庫県尼崎市から今年も元気に来て下さいました。御年八十八歳です。私が小学生の頃から来て下さっていますので、もう四十年のご縁になりましょうか。また来年も依頼させてもらいました。皆さま、お楽しみに。
3月 |
今年の冬は、有り難いことに、あまり寒さ厳しくない毎日のように思います。法事にお参りして、「寒くなく過ごしやすいけぇ~、え~ですね~」と申しますと、お叱りを受けました。ある程度、たんぼに雪が降り積もらないと、たんぼの虫が駆除されないとのこと。このままだと、春先に農薬を沢山散布しないといけないそうです。しかも、雪解け水が無いので、田植えの時期に水が足りるか心配もされていました。寒くなく雪が降らないのは、生活をするには楽ですが、米作りにはダメージのようです。
さて、今年も二月十一日に、善教寺護持会総会を開催しました。今年の参加者は、各地区世話係三十二名。初めて出席くださる方や久しぶりにお会いする方に出会えますと、とても嬉しいものです。しかしその逆に、今まで出席くださっていた方が、今年は欠席の方がありました。後日お尋ねすると、早期の胃癌で手術をされたとのこと。三月の仏教婦人会報恩講にはお参りしますと、元気なお返事を頂き、安堵いたしました。
善教寺世話係の皆さま、また来年、護持会総会で、お会いしましょうね。
2月 |
今年の一月十六日、皆さんはどんな思いで過ごされましたか?
またこの日は、何の日かご存知ですか?
一月十六日は、親鸞聖人の命日です。一二六三年一月十六日にご往生されました。一昔前は、親鸞聖人を偲んで、生き物の殺生をしなかった為、漁師さんは海に出なかったとのこと。ですから、魚屋さんも商品が入らず休業されていたそうです。当然、多くの真宗門徒の方々は、精進料理で偲ばれました。時代が変わり、親鸞聖人の命日を意識する方は少なくなったようです。致し方ありません、親の命日さえも忘れる時代なんですから。時代の変化とはいえ寂しい現実です。
気を取り直しまして、本願寺では親鸞聖人の命日をご縁に勤まる御正忌報恩講法要の期間、通常非公開の国宝書院『鴻之間』にて、江戸時代から変わらぬ食材を用いた伝統の精進料理を、朱塗りの什器やお膳で頂くことが出来ます。薄暗い『鴻之間』にて頂く精進料理は格別の雰囲気ですよ。ぜひ一度、味わってみて下さい。
来年の一月十六日は、親鸞聖人を偲んで精進料理を頂いてみてはいかがでしょうか?
1月 |
年末を迎えますと、何かと気忙しくなります。普段あまり出来ない箇所の掃除、断捨離的な整理整頓、そして年賀状の準備。それからこの寺報の編集。寺報はこの情報量ですから、大した労力ではないと思われるかもしれませんが、ところがどっこい、毎月の発行となると、掲載するネタ(話題)に困ります。今月号で二七八号。二十三年を超えて、毎月欠かさず発行し続けてきました。今後も細々とではありますが、頑張って、ネタを探しながら、寺報を発行し続けていきますね。時には、「この話題は、以前にも読んだよ…。」と思われることもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
この一年を振り返って思うことは、『当たり前に思えていた事でも、実は有り難いことなんだな~』と、心から感じられるようになりました。それだけ年を重ねたせいもあるのでしょうが、何より七月の西日本豪雨災害を経ての、このような思いであります。
帰る家があるのは有り難い。食事が出来るのは有り難い。眠れるところがあるのは有り難い。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ…(合掌)。