住職レター 2025

新連載
2月

 一月十一日(土曜日)、無事に御正忌法要を勤め終えたのですが、実は朝から、トラブル続きでした。法要日前後の厳しい冷え込みが影響したのか、台所のお湯が出ない。給湯器の凍結防止処置はしていたので、問題ないはず。門信徒会館の給湯器の電池を交換するも反応なし。困り果て、約一時間後に再度試みると、ようやくお湯が出て事なきを得ました。
 問題はそれだけでなく、庫裏の大台所の給湯器からもお湯が出ない。こちらの給湯器は業務用なので、ガス会社に来て貰いました。寒さのせいか、給湯器の性能が落ちているとのこと。取り合えず、当日の法要で使えるように応急処置をしてもらいました。ガス会社の方が、「給湯器を設置して二十七年経ってます。交換部品も無いので、そろそろ新しい給湯器に替えられた方が・・・」と。
 給湯器の寿命は、約三十年でしょうか。パソコンやスマホは、四~五年、長く使ったとしても七~八年。冷蔵庫や洗濯機は、十年~二十年か。本堂にある仏具の寿命は、よく分かりませんが、最低でも百年、中には、二百~三百年使い続けているのもあるでしょう。
 一方、浄土真宗が開宗されて、八百年超、正確には一昨年、立教開宗八百年慶讃法要が勤められましたので、八百二年になります。
 御正忌法要は宗祖親鸞聖人の祥月命日のお勤めです。八百年続く大切な法要に心血注いで集中しなくてはなりませんが、それ以上に、三十年使い続ける給湯器の事に、心が向いてしまい、煩悩だらけの私を反省し、御正忌法要を終えました。

『給湯器のお陰で法要料理が作れています』

1月

 年末を迎え、慌ただしくされていることでしょう。大掃除、年末の挨拶周り、年賀状の作成。そして私には、最後に大仕事があります。除夜会法要の読経と、除夜の鐘つき。除夜の鐘は、大晦日の深夜0時をはさんでつく鐘のこと。ちょうど日付けが変わり、新しい年になる時を鐘をつきながら迎えます。
 人には百八つの煩悩があると言われ、その煩悩を滅するために、除夜の鐘を百八回つきます。煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのこと。代表的な煩悩は、一.欲望、二.怒り、三.執着、四.猜疑。
 なぜ煩悩の数は百八つとされているのかは、諸説あります。百八という数が、『沢山』という意味だというのが、一般的でしょうか。
 私がなるほどと思った説は、人間が持つ欲望や心の汚れは、六つの感覚器官(眼・耳・舌・鼻・身・意)からもたらされ、それらが感じとる感覚からくる三十六個の煩悩に、前世、今世、来世の三つの時間軸をかけて、百八つあるという考え方。ようするに、私たちの煩悩は、たくさんあって、際限ないといことでしょう。
 あまり知られていませんが、梵鐘の鐘の回り(上部)に突起があります。これは「乳(ち)」と言われるもの。この「乳」の数も百八つあります。
 古より、梵鐘の鐘の音そのものには、苦しみや悩みを断ち切る力が宿っていると考えられてきました。梵鐘の澄んだ音は、深夜の空気と相まって心にしみわたり、私たちの魂が共鳴するような気持ちにさえなります。
 除夜の鐘、つきに来て下さいね。

鐘の回りにある「乳」という突起
鐘楼堂 1741年(寛保元年)建立