ここ武威は小さな町である。武威から敦煌まで、龍首山(3616メートル)と祁連山(5547メートル)を各々盟主とする、両山脈の間に挟まれ、南東から北西へ1000キロも続く、幅数10~100キロメートル、平均標高1500メートルの狭い廊下のような地帯、ここを河西回廊という。砂漠の中にオアシスが点在する、いわゆるシルクロードのメインルートである。
紀元前1世紀の頃、漢の武帝はこの河西回廊を保持するために、武威・酒泉・張掖・敦煌の四都を置き、万里の長城と烽火台を楼蘭まで伸ばした。田舎町とはいえ、武威には二千年もの歴史がある。
武威は、浄土真宗門徒に馴染みの深い仏説阿弥陀経を漢訳された、鳩摩羅什(344-413)が、長安に入る前17年間を過ごした地である。
昼から、鳩摩羅什を記念して建てられた、羅什寺塔に行った。十二層で高さ32メートルの塔は、鳩摩羅什の舌を埋めたところから下頭塔とも呼ばれている。また、ここは鳩摩羅什が経典を講じた場所である。



インドの高僧である鳩摩羅什(サンスクリット名でクマーラジーバ)が、この場所で漢民族の言語を習得したことが、仏教経典の精神をとらえた漢訳を可能にした。仏教が中国をはじめ朝鮮や日本など、東アジア全域に広がる基礎となった。
このことを思い、1600年を経た今、同じ場所に立っていることを考えると、なんとも言えない感動と共に、心の震えを感じるような、熱い気持ちになった。
その後、文廟という甘粛省最大の孔子廟に行った。1439年(明代)創建で、東西135メートル、南北187メートルの敷地内に、建物が東西二列に並んでいた。観光者は私一人で、静寂の中をゆっくり見て歩くことが出来た。
今日は、タクシーを使わず、全て歩いて回った。それほど、ここ武威は小さな町である。ホテルに帰り、今朝、お願いした列車のチケットを取りに行った。
明日の朝にはここを発ち、次の都市、張掖を目指す。
今回は軟座が取れず、硬座になったが、元気に旅立つとする。



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