今日、西安を出立した。ホテルをチェックアウトする時、お世話になったホテルのスタッフの方にお礼を伝え、次の滞在都市のホテル予約をお願いしてみた。フロントで正規の業務としては出来ないらしく、彼女はホテル内の自分の部屋に帰って予約を入れてくれた。旅先で出会った人の親切に感謝し、ホテルを出た。
本日の目的地は西安から西に3時間あまり行った、農林業の盛んな宝鶏という田舎町。駅に行くと、私が乗る列車はもう行列が出来ていた。指定席なのに何故並ぶのかと不安な思いで乗り込むと、列車内は歩けないほど人がいた。大混雑の人混みをかき分けないと前に進めず、重い荷物を持っているので大変だった。自分の席へ到着するだけで疲労困憊。ようやく到着するも、私が予約した席には、他人が座っているではないか!「ここは私の席だ」と言っても知らん顔。私も負けずに、切符を見せて、日本語で強く言うと、渋々退いてくれた。興奮と疲れと、安堵の気持ちからか、体の力が抜けていくような感じだった。
こんなに人が乗って身動きが出来ないのに、そこを物売りが何回も通る。荷物棚に置いた旅行鞄にはチェーンロックをかけ、盗まれないよう、常に気を付けていた。
列車内では皆飲食をしていた。食べ終わった物は、列車の窓から投げ捨てていた。窓から顔を出して、平然と痰も吐き出していた。隣の人お構いなしにタバコを吸い、灰や吸殻もその辺に捨てていた。現代の日本人からは考えられないようなエチケットである。想像を超える状況に、カルチャー・ショックに襲われた。
駅に到着すると、日本では「○○駅に到着しました」とアナウンスがある。こちらでは、そんな気の利いたアナウンスは無し。目的地の駅で降りられるのか、不安だった。幸い、出発時の騒ぎが功を奏したのか、周りの人に切符を見せていたので、降りる手前で教えてもらえた。
3時間の列車の旅を終え、無事に宝鶏駅に到着。この疲れを癒すべく、タクシーで直ぐにホテルへ向かった。チェックインを済ませ。部屋の電話回線からインターネットに接読。まだネット接続できるようだ。ここ宝鶏には、2日間の滞在予定。
唐の時代に玄奘三蔵は、長安(現・西安)から苦難の旅に出た。馬か牛車だろうから、ここまで来るのに何日もかかったことだろう。私は、楽にシルクロード鉄道で来たが、正直、もう挫けそうだ。
【4月20日】ここで曹操と諸葛亮にあう〈宝鶏〉