【2000年5月3日 午後】今日の旅も辛かった〈敦煌~柳園~ハミ〉

 しかし今回は、列車内の雰囲気が違っていた。どの車掌も殺気立っていて(理由は後で分かった)、誰も相手にしてくれなかった。「ここからは乗れない。お前の席は硬座だ!」と強く言われる始末。渋々硬座の車両から乗ると、そこは、多くの人で大混雑。東京の山手線の通勤ラッシュ時を思わせるような人混みであった。
 通路から身動き出来ず、大きな荷物とリュックを持っている私は、辛さ・苦しさ・絶望感、それら全てを超越した、もうどうにでもなれという境地で、ただ茫然と立ち尽くしていた。
 発車して、少し気持ちが落ち着くと、このまま5時間ここに立っていることに耐えられないと思い、重い大きな荷物を抱え、人の波をかき分け、大声で「エクスキューズ・ミー」(何故か英語)と突進して行った。乗客のみんな、「何この変な人!」っていう目で見ていたが、もうそんなこと気にも留めなかった。

酒泉の屋台で会った人々(4月29日)*5月3日の写真が無かったので過去の写真を掲載しました(2枚とも)。

 この車両と食堂車を抜ければ、軟座のシートにたどり着ける。そこへ行けばなんとかなると思っていたが、非情にも「席はない、硬座に戻れ」の一言。そこを何とか食い下がり、筆談と会話集を交えて話していると、通りかかった英語の話せる乗客が通訳をしてくれた。
 聞くと5月の初旬は、中国でも長期休暇となり、それで今日は列車が満員なんだと教えてくれた。残念ながら納得するしかなく、硬座の車両に帰ろうとしたら、先ほど通訳してくれた乗客が、「僕の寝台車両のベッドの横だったら座れるから来るか?」と言ってくれた。ここでもまた涙が出るほど嬉しくなった。異国の地で、こうして親切にしてくれた方への感謝の気持ちは、一生涯忘れず心に刻んでおこうと思った。
 夜遅くハミのホテルにチェックインし、シャワーを浴びた。お湯が低温で出も悪い、トイレの水も漏れている、部屋の電気は切れている。こんなことは、どうでもよく感じられた。

通訳して隣に座らせてくれた乗客
ハミの駅舎

→ 【5月4日】絶望感を味わう〈ハミ〉


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