2026年 ごあいさつ

善教寺
第20代住職 廣幡 勝祐
HIROHATA Masahiro
Chief Priest of Zenkyo-ji Buddhist

 『物(もの)』に、命はありません。しかし、物に魂が宿る瞬間を感じたことはありませんか?

 例えば、その物を見たら、懐かしい人を思い出した、その物に触れたら、大切な人のぬくもりが感じられてくるとか。

 父が使っていた念珠を手にすると父を思い出し、古い仏具に触れると、会ったことのない先祖にまで、思いを馳せます。

 私が法事に参勤して、仏説阿弥陀経を称える時に使っている拍子木(節折)は、かなり古い物(仏具)、らしいです。

 30年前、私が住職になって、初めてこの拍子木(節折)を手にした時、祖母が、「おじいちゃんも使っていたんよ」と教えてくれました。私が、「いつから使っとるん?」と聞くと、「おじいちゃんのおじいちゃんが使っとったらしい」との返答。という事は、少なくとも、この拍子木(節折)は、五代前から使い続けているようです。一代を約30年として、最低でも150年が経過。祖母の話しを聞いて、この拍子木(節折)が重く感じてきました。歴代住職の魂が宿っているからでしょうか。

 法事にお参りする方の仏間に、火鉢が置いてあります。今は使われていません。私が見る限り、ただの古い物でした。ある時、その家の方が、この火鉢は、亡くなった親父が大切にしていた。いつも火鉢に身を屈めて手を温め、酒を燗し、するめを焼いていた。火鉢を見るたびに、亡くなった親父を思い出すと、話して下さいました。

 この話を聞いてから、その方の家の火鉢が、ただの古い物ではなく、魂が宿ったように感じました。       

合掌